真夜中のフィロソフィー

私が考え込む時間

帰省

 

「明日と明後日、連休あげるよ」

突然言い渡された連休の使い方に悩んで、結局わたしは帰省した。

2ヶ月ぶりの帰省、社会人になって初めての帰省 とは言え大学生の頃だって一人暮らしをしていたし、そんな頻繁に帰るほうじゃなかったから、あまり変わらない。それなのに、最寄駅で電車を降りると、木や草の匂いがした。それらがどうしようもなく懐かしかった。

用意が遅くなったから、帰宅したのは、22時半。母親の作ったハンバーグ、祖母の作った煮物を食べた。お土産に買っていったチーズを肴に、母と父とそして祖母とシャンパンを飲んだ。

やっぱりシャンパンはおいしいねえ、と祖母が心底幸せそうに云う。シャンパン その横文字すらも、やっぱり関西弁で、私はなんだか嬉しくなった。

グラスに注がれた黄金色の液体からは幸せな泡の音がする。

 

次の日の朝、母親と父親が仕事に出る。玄関の外まで見送る。そんなことをしたのはいつぶりだろう。そんなんせんでいいのに、笑った父と母の皺が愛おしい。

 

これ頂いてもいい?と尋ねる祖母の手には、私があげたお土産の茶菓子。うん食べて食べて と答えると、ほな一緒に食べよかあ、と二人ぶんのティーカップを出す祖母。

コーヒー飲める?

うん、ありがとう、私入れるで

いっつも頑張ってるんやからあんたはそんなことせんでいいんよ

祖母が淹れたインスタントコーヒーは、砂糖と牛乳がたくさん入っていた。いつも飲むブラックコーヒーよりもうんと甘くて、柔らかくて、温かな味がした。きっと祖母の中で私はコーヒーが苦くて飲めなかった時のまま、止まっているに違いない。甘いものが別段得意なわけじゃないけれど、この甘さは優しい味がする。「ありがとう、おばあちゃんの淹れてくれたコーヒー、美味しいわ」ただのインスタントやで、祖母は綺麗な声で笑う。お茶請けにお土産の甘味を齧りながら、これが横浜の味なんやねえ、おしゃれな味やわあなんていう。そういえばね、と祖母はこの間赴いたという京都の話を楽しそうに始めた。

2年坂にはガイジンさんがたくさんおってねえ ちゃんとした着物着てるんやで ちゃんとした布の着物でちゃんとした帯結んでねえ 日本人よりもちゃんとしててねえ びっくりしたわあ ガイジンさんの方が日本人の私達より日本をきちんと知ってる、私達よりもそういう日本の文化をちゃんと見つめてるんやねえ 眺めてるんじゃ無くて見つめてるんよ  文化を身体と心全部で体験してるんよ  素敵やなあって思ったわ

文化を心と身体全部で体験する ただ眺めるのでは無く。昔から、祖母の言葉選びが好きだった。話し終えるなり、ちょっと待っててなあ、と居間を出て、なにかの袋を抱えて戻ってくる。これね その京都で買ってきたんよ あんたにはちょっとダサいかもしれへんけど…と言って猫の刺繍がされたちりめん細工の小銭入れを私に差し出す。「えーいいん?ありがとう 可愛いなあこれ 猫の顔が幸せそう !」と言えば、それなら良かったわあ これは招き猫やからねえ まみちゃんにも福が来ますように お金に困りませんようにって と祖母は温かな祈りもくれた。

あとねえ その中に入ってるお金でお昼ご飯たべてな少ないけど

開けると5000円が入っている。もしかすると祖母はそうやってお金を渡す口実のために京都の話をしたのかもしれない。笑う猫の刺繍の糸のように細い瞳は祖母に似ている。「有難うね、こんなけあったらめっちゃ精つくもんたべれるわ」と返しながらこの5000円は大事すぎて使えないなあとも思う。

美容室に出かけるという祖母の支度を待って一緒に家を出る。綺麗にお化粧をした祖母は、前にまみちゃんにもらった口紅使わしてもろてるんよ あれキラキラしてて嬉しいねんよと言った。それから、こうして二人で歩いてるのも嬉しいわあ なんか若くなった気がするもんなあ とも。その時の祖母の笑顔が美しくて、私は不意に泣きそうになった。おばあちゃんはいっつも綺麗やし若くて優しくてちっちゃいときからずっとずっと私の自慢のおばあちゃんよ ほんまやで。そう言いたかったのにうまく言葉が出てこなかった。「私も嬉しい。楽しいね」返した言葉の拙さがもどかしい。

祖母と別れるとき、これ 可愛いやろ?って、鞄に付けた小銭入れを見せた。祖母は目が悪いのか暫く何を付けているのか理解できなかったらしい。ややあって、ああ、付けてくれたんやねえ!と喜ぶ。「こないだ同じものをさっちゃん(妹)にもあげたんよ。あの子も帰りがけに鞄に付けてくれたの。嬉しいわあ。嬉しいわあ。やっぱり姉妹やねえ。」 

わたしはあとどれだけ、彼女の笑顔を見ることが出来るのだろうか  唐突にそんなことを思った。柔らかくて美しくて温かい祖母も今はこんなに温かいけれどいつかは死に行くのだ。冷たく、固くなってその笑顔を一生目にすることができない、そんな日が必ずくる。そしてそれは、悲しいけれど、悲しくて怖いけれど、それほど先のことでは無いだろうなと思う。その時までに私に家族はいるんだろうか おばあちゃんは私のウエディングドレスの姿や子供の姿を見るのかしら もしそうだとしたらおばあちゃんはそれをきっと自分のことのように喜ぶんだろう。  私が遂に、祖母を永遠に失う日が来たらわたしは、もっとおばあちゃんに会いに行けばよかったと思うんだろうなとなんとなく思った。こうして会って、他愛もない話をして、隣を歩いて、そんなことをあと何回できるのだろう。今こうして二人で過ごしているこの瞬間は、きっと特別な思い出になるから些細な会話も、表情も、忘れたく無い。

「おばあちゃん、ほんまありがとうね。大好きよ。またすぐ戻ってくるよ。」

伝われ、と思う。ありがとうもだいすきも、本気だよ、伝わってくれお願いだから。

 

元気でねえ、祖母の声はどんなお祈りよりもお守りよりも心強かった。青空には雲ひとつなかった。鞄についている招き猫の小銭入れの金糸が、太陽に照らされてキラキラと光っている。