真夜中のフィロソフィー

私が考え込む時間

オスカー・シンドローム

「ナタリーさんってすごいよ」

柔らかい先輩の声が降る、呼吸が止まる。

「いつも笑ってるの。ナタリーさんがいるとね、すっごく楽しい気持ちになるの。」

鈴のような声で。彼女は私を褒めて、刺した。

「単純に楽しいですもん、ここで働くの。」

オスカー ゴーズ トゥー、へらりと笑うワタシ。

いっつも笑ってるねって周りの人が言い始めたのはいつからだろう。怒ったりすんの?って聞かれ始めたのはいつからだったろう。思い出せない。笑っていれば他人は離れていかないし、笑っていれば他人に踏み込まれることもなくて。私はそういうずるい生き方で自分を守ってきた。

嫌になっちゃうぐらい鬱々としている、そんな自分自身をわたしは終(ツイ)に愛せなくって、自分が好きなジブンの仮面を被り始めたのだと思う。そうしようと決めたわけでは無いから、はっきりとは思い出すことができない。今や息をするよりも上手くジブンで居られるようになったのに、偶に、他人に寄せられる期待に、わたしは酷く狼狽える。

例えば男の人に好きって言われると私は泣きたくなる。いっつも笑ってるところが好きって言われれば死にたいぐらい悲しい気持ちになって、罪悪感を感じて、虚しくて、恐ろしい気持ちになる。違うんだよ、わたし、こんなんじゃないよ、これはね、ちがうんだよ、  言葉にならない感情、そんな時にも私は、笑えてしまうのだ、オスカーゴーズトゥー。

虚像に寄せられた好意は、私にとっては理想の強要と殆ど等しくて、それが恐ろしく感じる。他人を欺いている様な気持ちで、罪悪感に苛まれる。その一方で他人がジブンの虚像に寄せた好意を利用して自分の孤独を埋めようとする自分がいて。そのことが何より恐ろしくて穢らわしくて。そうして私は自分を憎んで、嫌って、だから綺麗なジブンでいる努力をしてしまう。いつか、いつも明るくて笑っているジブンになれるんじゃないかと期待して。

本当はきっと私は自分の暗い部分を愛する努力をもっとするべきだった。そういう自分を、他人に打ち明ける勇気を、わたしは持つべきだった。

 

「好き」

彼の声が降ってくる。

「って言ったらどうする?」

彼の柔らかくて温かい声は私を愛でて、刺した。痛む傷口に目を瞑り、私は笑う。

「んーそしたら何処が?って聞くよ(笑)」

オスカーゴーズトゥー、へらりと笑ったワタシ。

もう元には  戻れない。

私は進み続けるしかないのだ。自分を飼いならして、ジブンを被って。